「挑戦」の歩み
1st Stage
世界を変えた
「コンテナ革命」への挑戦
それは、オンシャーシ方式でコンテナを運ぶフェリーの荷役を見ていた井本冀汎のふとした疑問から始まった。
折しも1967年、米国マトソン社のコンテナ船「ハワイアンプランター号」が神戸港摩耶埠頭に初寄港し、雑貨輸送が在来船からコンテナ船にシフトし始めたところである。外航母船から毎週のように神戸港に陸揚げされてくるコンテナを西日本広域でいかにスムーズに流通させられるか。外航海運における「コンテナ革命」が破壊的スピードで進む一方、我が国の力もまた試されていた。
1967
米国マトソン社のコンテナ船「ハワイアンプランター号」が神戸港摩耶埠頭に初寄港。同船は日本に初めて寄港したコンテナ船であり、ここから日本は一気にコンテナ化の時代へ突入した。
1973
神戸港~門司港でデッキバージによる初の海上コンテナ輸送を開始。初年度の取扱量は、わずか480TEUであった。
「瀬戸内海はミシシッピ川みたいなものだ。オンシャーシ方式ではコンテナを重ねることが出来ないが、バージなら何段にも重ねて一度に大量に運べるじゃないか。」1973年、井本冀汎41歳の時であった。
1978
当時は、コンテナ貨物そのものがまだ少なかったが、コンテナ貨物は増えることはあっても減ることはないとの考えのもと、新造船「大誠丸」(445G/T・64TEU)を建造し、神戸港~門司港間の定期船運航をスタートさせた。「大誠丸」は当時としては珍しく、船体に航路名を入れた船だった。
1983
国内初のコンテナ専用船「新大誠丸」(499GT・110TEU)を阪神港~門司港間に投入。ブリッジを前に設置する斬新な発想により、積載能力を飛躍的に拡大。また同船以降、「Imoto Lines」のロゴを船体に書き入れるようになった。
2nd Stage
近海コンテナ船との攻防と
動静脈物流への挑戦
1995年1月17日5時46分、阪神淡路地域を襲った直下型の地震は、90年代初頭から懸念されていた神戸港の地盤沈下を決定的なものにした。また、この年から始まった運輸省の「大交流時代を支える港湾」政策によって地方コンテナ港湾の整備が加速。「コンテナ革命」による創造的破壊は、わが国の主要港のみならず、地方にも急速に波及し始めていた。
井本商運は既に内航船7隻を投入し阪神~瀬戸内・九州間に5航路の営業体制を築いていたが、震災を機に東日本航路にも進出し航路を拡大した。
社長就任時の隆之(左)
2001
2001年に井本隆之が代表取締役社長に就任して以降、13隻連続の新造船建造を推し進め、全国ネットワーク構築へと歩みを進めた。
しかしその歩みは、地方港湾をめぐり着実に勢力を拡大する近海コンテナ船との攻防を制するには未だ不十分なものであり、特に地理的に釜山港など近海ハブ港に近い日本海側、西日本諸港では厳しい戦いを強いられていた。
そのような状況の中、新体制のもとでは、新たに2つの新機軸が打ち出された。創業以来築き上げてきた内航フィーダー輸送を核とする「海上コンテナ輸送」を基本方針としながら、新たに「動脈物流におけるモーダルシフト」と「環境に対応した静脈物流(リサイクル物流)」の取り組みを掲げ、3つの事業を柱として確立することを目指していくこととなる。
2004
阪神、京浜など国内ハブ港における国際競争力育成を目指した「スーパー中枢港湾プロジェクト」が国土交通省を中心に進められ、内航フィーダー振興策が相次いで実施されることになった。こ の動きをいち早く察知した井本商運は、競争力のある大型コンテナ船を開発し、運航船隊の拡大を推進した。コンテナ船の大型化の第一弾としては、初の749GTコンテナ船「つるかぶと」(240TEU)を建造する。当時それまで最大船型であった「つるみ」(499GT・140TEU)の積載能力を100TEUも上回る規模であった。これを皮切りに翌年以降も大型船の建造ラッシュとなった。
2010
海上コンテナと内航コンテナ船による国内貨物の輸送サービスの名称を「海コン便」と定め、モーダルシフトによる海上輸送への働きかけを積極的に実施していく。この「海コン便」という名称は「宅急便」や「ユニック車」のように、個社の商標でありながら、一般名称としても広く使用されることを期待して名付けられた。
2011
3月11日に発生した東日本大震災。震災によりダメージを受けたのは海運業界も例外ではなかった。
東北各港の機能が軒並みストップし、船舶の寄港が出来ない状況となった。こうした中、井本商運は被災地支援の観点から「各港再開の第一船は井本商運が入れる」との方針を掲げ、1ヶ月後の4月23日には八戸港への寄港を再開し、これを皮切りに6月1日には仙台港、6月28日には小名浜港、7月17日には釜石港、12月17日には相馬港への寄港を再開していった。
こうした中、9月に台風12号により紀伊半島において多大な被害が発生。災害廃棄物の処理問題が発生したことにより、海上コンテナによる初の災害廃棄物輸送をおこなう。
2012
放射能風評問題で遅れていた東北の海上コンテナによる災害廃棄物輸送は、2012年9月に仙台港~門司港で実現。13年3月まで7ヶ月にわたって、合計2,863本のコンテナで約22,500トンを海上輸送した。さらに、13年には、宮古港~大阪港を輸送し、同年1月から9月までの9ヶ月間で、合計1,643本のコンテナで、約15,200トンを海上輸送することとなった。
2001年から2011年までの10年間に
13隻を連続建造
船名 | 総トン数 (GT) |
重量トン数 (GW) |
最大積載 (TEU) |
就航年月日 |
---|---|---|---|---|
1つるみ | 499 | 1360 | 140 | 2001 年 10 月 |
2つるかぶと | 749 | 1830 | 239 | 2004 年 01 月 |
3神若 | 749 | 1801 | 239 | 2005 年 03 月 |
4ひょうご | 749 | 1830 | 251 | 2005 年 12 月 |
5いくた | 749 | 1830 | 251 | 2006 年 06 月 |
6こうよう | 499 | 1438 | 140 | 2006 年 09 月 |
7あしや | 749 | 1820 | 251 | 2006 年 10 月 |
8ひよどり | 749 | 1830 | 251 | 2007 年 02 月 |
9てんま | 749 | 1438 | 140 | 2007 年 04 月 |
10まいこ | 749 | 1820 | 251 | 2008 年 03 月 |
11まや | 749 | 1680 | 228 | 2008 年 11 月 |
12公龍丸 | 749 | 2000 | 189 | 2011 年 04 月 |
13だいこく | 749 | 2000 | 189 | 2011 年 10 月 |
3rd Stage
真のコンテナ革命への
あくなき挑戦
井本商運の歴史は、「無」から「有」を創り出してきた挑戦の歴史であった。「内航フィーダー」という言葉さえなかった1970年代初め、1本の海上ルートからのスタートは苦難の連続であった。数多の試練を経験しながらも、井本商運は「内航フィーダー輸送のパイオニア」としての地位を確立し、さらには、世界標準となったISO規格海上コンテナを国内流通に投入し、内航コンテナ船と内航コンテナ船による国内貨物輸送サービス「海コン便」の普及を目指していくことになる。創業当時は、わずか480TEUだった年間輸送量を2012年には35万TEUまで拡大させた。
井本商運の挑戦の歴史は、わが国の港湾と海運のコンテナ化の歴史そのものである。
2013
井本商運は、内航フィーダーの競争力強化を目指して、内航コンテナ船の大型化を積極的に進めてきた。
その第一歩となったのは、2004年竣工の749GT200TEU型「つるかぶと」であり、これを皮切りに約10年間で同規模の大型船は10隻に達した。こうした中、井本商運フィーダー輸送のさらなる競争力強化と国内貨物輸送の安定化を目指して、国内最大船型である2,464GT・400TEU型の建造に踏み切った。この船が2013年11月竣工の「さがみ」である。「さがみ」は、当時200TEU型2隻を運航していた京浜港~苫小牧港の航路に代替するかたちで投入し、大型化による競争力強化と輸送力アップを実現した。
以降、同規模の内航コンテナ船として、2016年8月には「さくら」、2017年12月には「しげのぶ」を竣工させることになる。
2015
400TEU型「さがみ」をさらに上回る大型コンテナ船「なとり」(7,390GT・670TEU)が就航。京浜港~神戸港~門司港・博多港の航路へ投入、定曜日運航により安定した国内貨物の長距離輸送を実現した。
「なとり」は、コンテナ船としては世界で初めてとなる球状船首を採用。これにより、正面からの空気抵抗を30%低減することを実現したのである。またブリッジと居住区を船首に配置することで、視界を良好にし、従来型のコンテナ船と比べて積載効率の向上を実現した。これらの取り組みにより「なとり」は「シップ・オブ・ザ・イヤー2015」において「小型貨物船部門賞」を受賞、高い評価を得た。
2017
10月に創業以来初めての自社船員を採用。「井本品質」「井本プライド」を身につけた船員を確保・育成し、陸側とのコミュニケーション強化、安全運航と本船メンテナンスの質の向上を目指していく。
2018
「なとり」の姉妹船「ながら」(7432GT・670TEU)が就航。京浜港~神戸港~門司港・博多港航路の週2便化を実現。
「ながら」は、国土交通省の「内航船省エネルギー格付制度」のハード対策およびソフト対策において、最高評価の四つ星を獲得。革新的省エネ・省CO2技術(ハード技術)と運航・配船の効率化(ソフト対策)において省エネ・省CO2が進んだ環境に優しい船舶となった。また、2017年10月から自社船員の採用を開始し、2018年4月には「みかげ」(749GT・194TEU)が自社配乗の第一号として運航を開始した。